『月並な言葉』 2000.9.02 私は幼い頃、父から「辛抱が肝心」とよく言われていたことを思い出す。 父が若い頃、病弱なその兄に代わって遅くまで重い大八車を引いていたこと等、苦労話 の断片を思い出す。 明治生まれの人だから、当時の庶民一般の生活は厳しく父に限らず大方の人が朝から晩 まで重労働に励んでいたものと思う。戦後の混乱期における人々も大変な苦労をしたが、 それが明日の糧を求めるものだから、立ち止まって悩む暇もなかったようである。 それから復興し、繁栄期に移ってくると苦労は忌むべしの風潮が高まってきた。 誰にも迷惑を掛けず、自分の好きなように苦より今の楽を選び、この人生を過ごしたい と考える人が多くなった。 このような人に、月並な言葉「辛抱が肝心」「苦は楽の種」「若い時の苦労は買ってで もせよ」を言っても通用しない。 何しろ人には迷惑を掛けないと言うのだから説得のしようがない。 しかし、最近の短絡的な思考による凶悪犯罪の多発を見ると、辛抱が足りないように思わ れる。苦労や辛抱に対する訓練不足がこのような結果になっているのではなかろうか。 やや観点は異なるが、現在は繁栄の停滞期に入り社会的に閉塞感が強まっており、このた め捨鉢になり本来あるべき自己保身が薄れ、その結果他人への思いやりも失っているよう に思える。 さて、苦は忌むべきことなのであろうか。人生は楽をすれば良いのか。 その答えは前述の月並な言葉の中にあると考える。 一生苦を避け通すことなどできない。苦楽は表裏一体であり、楽の中にも苦が隠されて いる。また、苦労の後の或いは最中の楽しみは大きく、これを経験した人は多いと思う。 次に、誰にも迷惑を掛けなければどんな人生を歩もうと勝手なのであろうか。 迷惑かどうかは他人が判断するものであり、当人がそれを決定することはできない。 無人島にでも住まない限り他人、即ち社会と無縁な生活をすることはできない。 従って、自己の独立と同時に社会の構成員としての立場を考慮した歩みが必要である。 だから、誰にも迷惑を掛けず云々という人には、思考が未だ未熟なのであるから、月並 な言葉「辛抱が肝心」等々を用いて苦労の大切さを教えることが必要である。 私自身、今後は自信をもって若い人に「辛抱が肝心」と言おう。 また、自分を大切にすることから他人を大切にする気持ちも生ずるので、失うものは 何もないと思わせないような社会に皆で力を合わせて改善して行こう。 これらは、年齢と共に受け入れにくくなるので若い内から、教育すると共に社会基盤を 整備することが必要と考える。 以上