『閉塞感の打破に向けて』 2001.07.15 7月29日に参議院議員選挙がある。何をやっても先が見えない閉塞感は日本の政治、 経済、その他あらゆる方面に充満している。バブル崩壊後の政治の重要課題は景気回復 である。小淵内閣では、首相自ら世界一の借金王と誇る膨大な借金をして景気対策を行 ったが、その効果は一時的なものであった。あのお金はどこに消えたのか。 地域振興券として極々一部は庶民の懐に入り、直ぐに出ていったものもあるが、大半は 銀行、ゼネコンの懐に入ったのではなかろうか。最近のテレビを見ると、庶民の暮しと かけ離れた贅沢な暮しをする人達がいて、その格差が拡大しているようである。こうい う所に消えたのか。 それはさておき、闇雲な景気対策は効果がないどころか大きな負の遺産を残す。これが 現在言われている「聖域なき構造改革」を必要とする所以であろう。改革は旧来の制度 の基では望む成果が得られないために行うものであり、只闇雲に旧きを毀ち新しきを建 てれば良いものではない。望む成果が得られる制度を確立することにある。 閉塞感は企業にもある。昨夜のNHKスペシャルは企業風土の改革がテーマであった。 社員全体の意識改革なくして改革なし、トップダウンのみでは成らずボトムアップと組 合せ、殊に中間管理織の意識改革が重要と言うことのようであった。これは恐らくバブ ル崩壊後絶えず試みられたと思う。それでも、閉塞感は解消していなかった。従来は幹 部から率直な意見を求められ、素直に思っていることを述べると後で報復されるなど、 結局改革は行われなかったようである。意識改革を成し遂げるには、全員が必要性を認 識すると共に、透明性の確保等色々と組織的な取り組みが必要である。今回の成功例で は上下関係に囚われず徹底的な議論ができることを重要なポイントに挙げていた。それ に加えて、如何にこれを取り纏めて結果を出すか、それに腐心する個人又は組織を確立 することが重要であった。 そこで、これらの改革の理念について考えてみたい。ここで理念とは改革の根底にあ る根本的な考え方、即ち改革の目指す目標である。それは政治であれ、企業であれ ”人々が安心して暮らせる(働ける)豊かな社会(又は企業)の実現”ではなかろうか。 そのためには大きい政府か、或いは小さい政府を目標とすべきか。また、効率的な企業 運営を行うためには持ち株会社を作るのが良いのか。こういったことが当面の目標とな るが、それらは固定的なものではない。冷戦中のイデオロギー中心時代と異なり、始め から目標が定められているのではなく、それらを選択する時代である。従って、政党が それを選択するのではなく、それぞれ選択した場合の長所短所の説明に努め、最終決断 は国民に任すべきである。(政党が選択し、その政党を国民が選択する方法もある。) ここで言いたいことは、目標設定も正解がある固定的なものではなく、選択するものだ から、その選択方法が重要だと言うことである。 小泉内閣の構造改革が持て囃され、閉塞感を払拭するのではないかと期待されている。 それは、構造改革の成果(目標)を期待しているためでもあるが、そのアプローチが従 来の密室的、上意下達でなくオープンなところに期待されているものと思う。前述のよ に多数の国民の議論を取り込む手法こそ、今後進むべき道を定め運営する最善の方法と 考える。(なお別途、国家百年の計を考える方策を備える必要もあると思う。) 少数の優秀な頭脳で国家目標や運営方針を定められる時代ではなくなった。それは、見 本を見つけ勉強すれば良い時代のことであって、自ら見本を作り出さなければならない 現代には通用しない。また、国民全体の知的レベルの向上が少数の者の支配を許さない。 この変化の激しい時代に、理念を示せと如何にも恒久的、不変的真理を求めるふりをし て、短期的な選択肢を求めるまやかしに騙されない。短期的な選択肢は理念にはならな い。常に、見直し修正して前述の理念実現のために切磋琢磨しなければならない。 そのためには、国民が政治に関心を持ち続け、透明性の確保等色々な組織的な取り組み を要求し監視し、かつ参加する必要があると思う。 『閉塞感の打破に向けて』あらゆる方面で前進することを願っている。 以上