『自分の居場所を見つけよう』         2003.12.23

      



 テレビを見たり新聞を読んでいると、引き籠りや精神疾患が今や社会的問題に

なりつつあることが分かります。私の幼年期から成人になる迄の期間、昭和二十

年代から三十年代には引き籠りなどと言う言葉は聞いたこともありませんでした。

戦後の混乱期を経て、一億総中流階層と言われるようになる迄の間、我国は総体

的に目標も、成果も、その見返りも均質化した社会であって戦後の教育を受けた

人々にも受け入れ易い時代だったのだと思います。勿論、この間にも’猛烈社員’

がいて少なからぬストレスを受けたでしょうが、それらは個々の問題として解決

されてきたように思われます。

その後のバブル経済とその崩壊を経て現在に至り、その間世界第2位の経済大国

日本となってからはあらゆる面で多様化が進み、均質を好む日本人には適応し難

い時代が続いていると言えるのではないでしょうか。

 だから、この社会はどう言う方向に向かうべきか、どうやってこの時代に適応

すべきか云々を論ずる積もりはありません。

引き籠りや精神疾患の多発は現実の問題であり、本人、家族、社会にとって大き

な負担となっています。前述のテレビや新聞には、その発症並びにそこから脱出

した経緯、経験等が報じられています。多くの場合、家族を含めて人との意思疎

通が思うように行かないことに起因するストレスが引き金になっているように思

いました。父と子の間の蟠り(わだかまり)を溶くのに10年以上も掛かり、やっ

と親子のコミニケーションができるようになり脱出した例もありました。そこで、

当人の感想として本当の問題点は必ずしもそこにあったのではなく、今にして思

えば何故そこまで拘って(こだわって)いたのか分からなくなった、と語っていた

のが私には大変印象的でした。

 何故このような大きな犠牲を払った後でないと、脱出できないのでしょうか。

昔は何故この問題が社会的現象とならなかったのでしょうか。詳細に論ずれば様

々な要因があるでしょう。私にはその全貌を把握する知識も能力もありません。

しかし、私にも感ずるところがあるのです。それは当人にとって「自分の居場所

が見つからない」或いは見つからなかったことが一因だと思うからです。

父子間の蟠りの解消にしても、観念的ではなく実践の中でしか到達できないので

はないでしょうか。だから長い期間を要したのだと思います。その期間、当人の

居場所は家族の中にはなく、独り自室に引き籠って悶々としていたのでしょう。

昔は幼い内からそれぞれ家族の中で役割分担があり、それを担うことにより家族

の中での居場所を見つけていたのだと思います。

役割と言っても極く単純なもので良く、さらに家族の中の会話を通して自分の主

張が認められ或いは否定される経験を積み重ねていけば、家族の中での居場所は

早々に確立するのではないでしょうか。現代の若い人達にはそう言う体験が不足

しているのではないでしょうか。

社会に出た場合でも、現代の若者はその社会の中での「自分の居場所を見つける」

ことが上手ではないように思います。それがストレスとなって精神疾患の増加の

一因になっているものと私は解釈しています。これも観念論ではなく、実践によ

り体得すべきものと考えます。具体的には与えられた環境の中で、今なすべきこ

との内、できるものから実施し手応えを得ることが居場所を体得することになる

ものと思います。居場所は他との係わりの中にしか見つけることはできないので

す。それも受身な係わりではなく、能動的なものでなければなりません。そうす

れば必然的に今できることに限定されます。将来の夢も必要でしょうが、それだ

けでは精神的に不安定な状態は避けられません。

 さて、現代社会の問題となりつつある引き籠りや精神疾患の防止についは、以

上述べましたように「自分の居場所を見つける」ことが両者に共通する防止策に

なろうかと思っています。それは他との係わりの中での体験を通してしか得られ

ないと思います。その体験をする絶好のチャンスは家庭の中にあります。子供が

幼い内からそれを体験出来るよう、家族や社会が計画的に取り組むべき課題では

ないでしょうか。

                                 以上