『インド人はアーリア民族か』        2004.11.07

      



 私はインド人は白人だと言っては家の者にいつも笑われている。確かに写真で

見るガンジーさんの肌の色は白くはなかった。しかし、インド・ヨーロッパ語族

に属する人々だからアーリア人であり、ヒットラーが言うところのアーリア人、

即ち白人なのだから、きっとインドの強い陽射しにより日焼けしただけのことに

違いないと思っていた。

H.G.ウェルズ著「世界史概観(上)」;岩波新書、19節 原始アーリア人

によると、ヨーロッパや中央アジアに漂浪していた、その大部分は白色碧眼の北

方人種(アーリア人)が紀元前千年よりもはるか以前に北インドに入っていた。

それは歴史で学んだアーリア人の大移動として知られていることである。

その民族の特徴について記述されている箇所があるのでそれを次に示す。

 彼らはたいへん歌うことの好きな民族であった。その漂浪生活を元気づけるに

 宴会をもってしたが、そのときには、人々は酔いつぶれ、そして、特殊な人々、

 つまり吟唱詩人が歌いまた語るのが常であった。彼らは、文明と接触するまで

 は文字を知らなかったのであって、この吟唱詩人の記憶が彼らの生きた文書で

 あった。このように朗吟をもって悦楽としたことは、その言語を精緻で美しい

 ものとするために大いに貢献した。そして、アーリア語から出た諸国語の後日

 の卓越は、部分的には疑いもなくこの事実に負っているのである。

私はかねがね英語と言う言語は合理的で、弁論向きだと思っていたので、それが

そんなところに由来しているのかと納得した次第である。

 さて、アーリア人の大移動の時期、及び本題のインド人はアーリア民族かにつ

いては、『仏教文化情報 エーヴァム』のホームページの北條賢三さんの法話の

中に書かれている。ここで必要な箇所を要約して次に示す。

 (1)パミール高原に遊牧民として住んでいたアーリア民族はBC2000年

    頃南下し、一派はペルシャへ行き、他の一派はインドへ来た。

 (2)パミール高原に残されたアーリア人はBC1500年頃、西の方へ大移

    動し、東ヨーロッパから西ヨーロッパに定着した。今のドイツ、フラン

    ス、スペイン等の文化を作った。

 (3)インド人はヨーロッパの人たちと似ているところも多いのです。何しろ、

    インドの子どもと撮った写真を見せますと、誰もが「この子はドイツの

    子?イギリス人?」と聞き、誰もインドの子と信じてくれなかったほど

    でした。よく考えてみますと、インド人は白人系統のアーリアの子孫が

    中心ですからね。

 私が長年疑問に思っていた、インド人の祖先について、それが白人系統のアー

リア民族であり、ヨーロッパ人と同じ根を持つことが分かった。肌の色について

は、インドの陽射しによるよりも、人種間の混血の組合せによる差が大きいので

あろう。前述の岩波新書によると、インドの社会は古くからカースト制が行われ

ており、自由に雑婚するヨーロッパ社会と異なっていたとある。それにしても、

一民族が純血種のまま永久に存続するはずはなく、数千年もの間には混血を繰り

返し、その結果としてインド人の中にも様々な肌の色をした人々がいるものと理

解するのが良いのではなかろうか。

なお、アーリア人とは国語辞書によると、「高貴な」を意味する梵語aryaから出

たもので、インド・ヨーロッパ語族の総称。特にインド・イラン語派に属する人

が自らをアーリアと称した。私は語族と民族を同じもののように考えていたが、

辞書に共通の祖語から派生したと考えられる諸言語の総称とあるので、間違って

いたことに気付いた。しかし、梵語とヨーロッパの言語が同じ祖語から派生した

ものであると共に、民族としても共通の祖先を有することも分かった。

                                 以上