『小泉自民党は革新政党ではない』 2005.10.29 昨日自民党は郵政民営化法案に対する造反議員の処分を行った。7月5日の衆 議院採決から約4ヶ月経ってようやく決着をつけた。処分の主たる物差しを「衆 議院選挙での対応」に求めたため、参議院議員に甘く衆議院議員に厳しい内容に なったと言われている。それは1法案に反対しただけで最も重い除名や離党勧告 をするとなると、過去の事例とバランスを欠くうえ、与野党勢力の差が少ない参 議院が危機的状況に陥る可能性があるので、それを避けるため4ヶ月も処分を遅 らせ実施したためのようである。 処分を受ける議員には、1法案に反対しただけであり、しかも何の申し開きもさ せず一方的に処分をする執行部に強権的、独裁的との批判がある。またこれまで の自民党は多様な意見を話し合いで集約してきたのに、今回はその伝統を無視し て無理矢理に合意形成を図ったやり方に反発と危惧の念を強くする者も多いよう である。 しかし、小泉総理が言っているように今回の造反は単なる政局から途中で倒閣運 動に切り替わったことを当の造反議員達は意識していなかった。小泉陣営は権力 闘争を始める覚悟であるのに、それに挑む造反組はそんな覚悟も体制も整える間 もなく戦争が始まり、造反組はあえ無く完敗した。従来の自民党総務会では全会 一致を原則とし、多数決による決定を行うことがなかったそうである。それでは この目まぐるしく変化する現代に必要な迅速な政策決定など行えない。最終的に 多数決で決定されれば、少数意見を持つ者もその多数意見に従うのが筋であろう。 造反者は未だにこのルール違反に対する反省がない。 国民・世論はこのルール違反に反発し、その結果がその後の衆議院解散、総選挙 の流れの中で強く反映されているものと私は考える。小泉劇場と言われた表面的 なものでなく、このルール違反に対する反発が本質的なものとして国民の共感を 呼び、造反組の敗北と自民党の大勝利となって表れたものと思う。 話は多少それるが、戦後教育の結果として個人主義の傾向が強まり古い伝統が 損なわれていると嘆く論調を目にすることが多い。それは宥和、話し合い、家族、 社会、国家を重んじることを旨とすることのようである。 私は個人主義に問題があるとは思わない。人間は社会的な動物であっても、その 根源は個々の独立性の中にある。そのような個々の独立した者の集合体が社会を 形成しているのである。生れた時から社会的影響を受けるけれど、個の独立が最 優先されるべきである。そこから出てくる自由意志のぶっかりあいから社会が形 成されるのでなければならないと思う。 翻って、先程の造反組の不満である話し合いがない、旧来の(家族的)伝統を壊 していると言う批判は、単に既成概念に反すると言うだけで根本的な理由になら ない。このような既成概念に囚われる保守主義政党においても、係る前提条件を 取り払ったゼロベースでの思考が必要となったのである。その結果が造反者の公 認除外、刺客、除名、離党勧告となって表れた。このような発想は旧来の宥和、 家族を旨とする思考ではなく、それらに囚われないゼロベースで考える個人主義 に基づかなければ得られないと思う。 さて、表題は10/8付けの産経新聞『正論』に「自民党大勝利となったこの選挙 は、ある意味で、そして本質的な意味で、自民党の大敗北、ほとんど空洞化の始 まりであったかに見える。・・・小泉自民党は、もっとも急激な変革を唱えるこ とで、野党をはるかにしのぐ革新的政党へと自民党を作り代えてしまったわけで ある。」とあったことに対する私の反論を要約したものである。 なお、ここで言う「変革」とは小泉自民党の言う改革と同義語とみなす。 この見解に対する私の反論を次に示す。 (1)自民党が如何に変革を進めても革新的政党に変わることはない。 「正論」における保守・革新の区別は次のようになっている。 ”本来、保守政党である自民党は、革新派の唱える社会の急激な変革に 抗し、秩序維持を保持しながらのゆるやかな変化を唱えてきた。” 小泉自民党が唱える「もっとも急激な変革」であっても、上記の”革 新派の唱える社会の急激な変革”に比べはるかにゆるやかなものと私 は考える。ここで言う”社会の急激な変革”とは、共産党や社民党の 唱えるようなものを指すはずである。従って、自民党がそのような政 党に変わるはずもなく、また変革と言うものは主義・主張に係わらず 常に必要とされるものであり、変革を進めるからと言って自民党が前 述の保守主義から脱却するとは思えないからである。 (2)「そして本質的な意味で、自民党の大敗北、ほとんど空洞化の始まりで あったかに見える。」とあるがその根拠が見られない。 @「空洞化の始まり」と言うけれど、今回の衆議院選挙で当選した新人 は80人程度で、残りの200人程度は再選議員である。まして、小 泉総理自身が保守主義を脱却し革新主義に宗旨変えするとも思えない。 同様に再選議員を含め自民党の議員全体が相変わらず保守主義者であ ろうと思える。現に相変わらず従来の派閥は残っているのだから。 従って、「空洞化の始まり」にはなっていないと私は思う。 A「大敗北の始まり」と言うけれど、それに至る筋道(推測)を述べる ことなくそう決め付けるのはいけないと思う。 この論調の中で「大敗北の始まり」を予測できそうな事柄は「空洞化 の始まり」である。この言葉を記述しただけで直ぐに「大敗北の始ま り」とするのは論理の飛躍と言うべきでないか。もっと丁寧に説明す べきと私は考える。 以上